LEE JONITZ(リー・コニッツ)
 


リー・コニッツ(アルトサックス)

アルト・サックス奏者。孤高のピアニストと言われるレニー・トリスターノの弟子からスタートした。トリスターノは1940年代に黒人のビ・バップに対抗して、非常に理詰めに考えられた“クール”な音楽を追求した。ある人曰く。「ビ・バップの精密さと緊張感をさらに突き詰めて、ブルース・フィーリングと黒人的なグルーヴ感を除去すると、トリスターノの音楽が出来上がる」。その影響を受けて、コニッツは情緒をむき出しにしないクールな姿勢を持ち続けた。要するに、“俗受け大ブロー”や“センチメンタルな泣き節”といったポピュラー路線からは最も遠い人なのだ。コニッツは即興演奏であるアドリブに全力投球した人だ。その後、コニッツは長い活動期間を通じて、トリスターノの下を離れてから、だんだんウォームなサウンドに変わっていった。

 

バイオグラフィー
50年代においてチャーリー・パーカーの後を追わなかった数少ないアルト・サックス奏者の中でも傑出した一人。クールと呼ばれるスタイルに分類されていたが、常に多方面に興味を拡げていた故に、様々なことを試み一貫して音楽の幅を拡げ自身の音楽性を高めていった。早い頃から音楽に親しみ、当初はクラリネットを習っていたが、アルト・サックスに転向し、1947年、クラウド・ソーンヒル楽団のソリストとして注目された。そして、レニー・トリスターノとの出会うことで、即興演奏に対する考え方やそれへのアプローチについて大きな影響を受けることになった。そして、1948〜50年、マイルス・デイビスの“クールの誕生”の一員として実演に加わり、キャピタル・レコードでの録音に参加した。また、1948年、トリスターノのセクステットで史上初の完全な即興演奏を2曲録音した。コニッツのアルト・サックスは同じトリスターノ門下のウォーン・マーシュのテナー・サックスと同質性が高く、二人が共演すると2本のサックスがまるで1本のように聞こえた(その奇跡のような共演に聴衆は「ワォ!」と驚嘆の声を上げるのが常だった)。コニッツとマーシュ、そしてトリスターノは、その後も何度も共演している。しかし、マーシュがトリスターノに教えに忠実な即興を追求したのとは対照的に、コニッツは次第にトリスターノの影響から徐々に脱し独自の道を切り開いていった。1951年にヨーロッパに渡り、スカジナビアを中心にプレイした。60年代前半にはほとんど引退同然となったが、数年後カムバックし、コンスタントに第一線での活動を続けている。

 



Motion   1961年8月29日録音

I Remember You

All Of Me

Foolin' Myself

You Don't Know What Love Is

You'd Be So Nice To Come Home To

Out Of Nowhere

I'll Remember April

It's You Or No One

 

Lee Konitz (as),  

Elvin Jones(ds)

Sonny Dallas (b)  

 

 

5曲目のYou'd Be So Nice To Come Home Toはヘレン・メリルの名唱で知られるスタンダード・ナンバーだ。この曲がコニッツの手にかかると、“You'd Be So Nice To Come Home To〜”と唄われるお馴染みの甘くて退廃的なメロディが、いつまで経っても聞こえてこない。コニッツは、この曲のコード進行だけをもとにしてアドリブを最初から最後まで押し通してしまう。しゃあ、この演奏がYou'd Be So Nice To Come Home Toだという意味がどこにあるのか、と言いたくもなるけれど。まるで曲そのものを最初から解体してしまったようで、だから分解的と言われることがある。

そのコニッツのプレイ自体は、同じ白人でアドリブ勝負のアート・ベッパーのように音色やヴィプラートのヴァリエィションで繊細な陰影で魅せるというのではなくて、ストレート一本勝負でアドリブのフレーズ創出にすべてを賭けている、というものだ。実際にコニッツのプレイを聴くと、不安定なフレージングのアドリブを延々と吹いていて、うねうねと細かな短いリフのような節がダラダラ続くように聞こえるかもしれない。コニッツに親しめない人は、それがダラダラと感じられて感情移入とか、乗ることができないのだろうと思う。コニッツのフレーズは音の飛躍が少なく、スムーズに流れるようなこともなく、階段を一歩ずつ上り下りするように訥々と音階の上下を繰り返す。ある人は分解的と呼ぶ所以だ。しかし、そのうねうねとした流りに乗っているうちに、恐ろしく新鮮だったり、キュートだったり魅惑的だったりする瞬間に出会うことがある。そしてまた、そうだからこそ、そのうねうねが恐ろしいほど緊張感を孕んでいる。それは、屈曲する激流を川下りするのにも似ている、あちこちで屈曲する川を下っていると屈曲した向こう側に想像もできなかった場面に出会うことがあるのだ。しかし、だからと言って油断していると激流に呑まれてしまうのだ。

ここでは、ペースとドラムだけの贅肉を削いだトリオという編成で、堅実にビートをキープするダラスのベースの上で、コニッツはテーマも吹かずアドリブ・ソロを吹き始める。それを包み込み、斬新なフィルインを入れてコニッツを挑発するのが、ドラムのエルヴィン・ジョーンズ。それを刺激に、また新しいラインを構築するコニッツ。それを聴いてさらにコニッツに迫るエルヴィン。ここでのプレイは、それだけ、それに終始し、徹底してそれをやっている。

そういうコニッツのプレイを聴いて、どう感じるか。かれのアドリブを追いかけるのもいい。これは、私の個人的妄想かもしれないけれど、最初に紹介したYou'd Be So Nice To Come Home Toのプレイを聴いていると、分解されてしまったようなフレーズが延々と呟かれるように演奏されると、それは音楽がメロディをかたち作る前段階の状態で、ずっと待機しているような感じがするのだ。例えていえば、活火山でマグマが噴火口近くまでせり上がってきて、大爆発するのを今か今かとまちうけているような、という感じだ。だから、コニッツの演奏というのは大爆発直前の期待が最高潮に達したワクワク感とか緊張感に漲っている。しかし、その反面、最後ところで肩透かしを食ったような物足りなさも感じてしまうのだ。だから、コニッツのプレイを聴いてカタルシスを感じるとか、爽快感を持てるということはない。だから、聴く側に一定のコンディションや構えがないと、受け容れることが難しくなるのではないか。私も、落ち込んでいる時や疲れている時には、聴こうとは思わない。その意味で、聴き手を選ぶといってもいい。 

Inside Hi Fi   1956年9月26日、10月16日録音

Kary's Trance  

Everything Happens to Me  

Sweet and Lovely  

Cork 'N' Bib  

All of Me  

Star Eyes  

Nesuhi's Instant  

(Back Home Again In) Indiana

 

Lee Konitz (as)  

Billy Bauer(g)  

Arnold Fishkind (b)  

Dick Scott(ds)   1956年10月16日 

 

Lee Konitz (as/ts)   

Sal Mosca(p),  

Peter Ind(b) ,  

Dick Scott(ds)    1956年9月26日

 

リー・コニッツという人は、同時代のサックス奏者がチャーリー・パーカーから何かしらの影響を受けていたのに対して、その影響を殆ど受けず、ユニークといえるほど独自の方向を持っていた数少ないプレイヤーで、不思議なことに彼の影響を受けた奏者が後世に一人もいないという人のようだ。その彼の姿勢は一貫していますが、自体と共に少しずつ変化もしていて1950年代のコニッツは、即興を突き詰めて追求していた、キレキレの演奏をしていたと言われている。独特のうねうねフレーズばかりが出て来るので、この時期の録音に対しては、好き嫌いが分かれると思う。その中で、このアルバムはスタンダード曲をとりあげて、その原曲のメロディーをちゃんと演奏しているという、当時のコニッツとしては珍しいもの。ただし、演奏の切れ味は絶好調で、当時のコニッツに親しむ入門用として格好なのではないか。

1曲目の「Kary's Trance」が白眉ともいえる演奏。エレキ・ギターが独特のほんわかした輪郭の定まらないサウンドで、不協和音的な響きの情緒不安定で緊張感を煽るようなコード弾きのイントロに導かれるように、コニッツが細い音で斬り込むように最初からアドリブフレーズで入って来ると、ギターの音と対照的でコニッツの鋭さが際立ち、うねうねフレーズにギターが時折ユニゾンで音を重ねていくあたりの一体となって疾走するスピード感と、シンバルを強調しブギウギのようなノリで煽るドラムスは、少し後の『Motion』のホットな疾走に繋がっていくものだ。さらに、ここでのコニッツのプレイは即興演奏のフレーズが、時折まとまったメロディの体を成しているまでいくようなところがある。当時のコニッツの即興プレイの大きな特徴は、メロディになりそうでならない微妙なところで、プレイが続く、いまにも音楽が生まれそうな、言うなれば胎児の状態の音楽のなりかけを剔出してみせる生々しさのようなところがあった。それが宙ぶらりんの彼独特の緊張感をうみだしているのだが、ここではメロディとなったときのカタルシスを一時期に味わえる、極めて珍しい演奏となっている。惜しむらくは、フェイドアウトして終わってしまうこと。次の「Everything Happens to Me」はスタンダード曲だそうで、頼りなげなギターのイントロに乗って、コニッツがちゃんとテーマを吹く。『Motion』での「You'd Be So Nice To Come Home To」のようにスタンダード曲のメロディをズタズタな解体してしまって、そのパーツをもとに最初から即興的にプレイをするのとは違って、ここでは、ちゃんとテーマを吹いて、流れるようにアドリブに移るのだけれど、それがあまりに滑らかに移ってしまうので、どこからがアドリブがわからないほど。それほど、コニッツの作り出すフレーズがクリエイティブだったということ。このアルバムでは他にも「Sweet and Lovely」「All of Me」「Star Eyes」「Indiana」がそう。いずれにしても、演奏のテンションは高い。

In Harvard Square   1955年2月、1954年1月5日録音

No Splice

She’s Funny That Way

Time On My Hands

Foolin’ Myself

Ronnie’s Tune

Froggy Day

My Old Flame

If I Has You

Foolin’ Myself

Ablution

 

17

Lee Konitz(as)

Ronnie Ball(p)

Peter Ind(b)

Jeff Morton(ds)

810

Lee Konitz(as)

Ronnie Ball(p)

Percy Heath(b)

Al Levitt(ds)

 

1950年代前半、コニッツはStoryvilleに3枚のレコードを録音している。ファンはこれらを、クールな演奏を追求していた若いコニッツの記録としてストリーヴィル3部作と呼んでいる。とくにこの『In Harvard Square』はそのジャケット・デザインにちなんで“蔦のグリーン”と呼ばれ、前作の“浜辺のブルー”と並んで、ファンに愛されている。1955年にボストンのハーバード・スクエアでの実況を録音したライブ・アルバム。コニッツという人は、1961年の『Motion』もそうだけれど、ライブ録音では、スタジオ録音でのクールな顔では見せないホットなプレイを披露してくれている。理知的と評されることも多いコニッツだけれども、本質は頭が考えて音楽をやるような人ではない、ということがそういうところに表われている。そもそも、猫も杓子も天才チャーリー・パーカーの真似をしていた時代に超然としていたようなことがよく解説に書かれているけれど、実は、真似をしたくてもできなかったのではないか。コニッツは、その後も、基本的なスタイルを変えることがなく、孤高とか超然とか形容されることがあるけれど、実は不器用で変えることができなかった。このライブ演奏を聴くと、かなりホットなプレイをしていて、同時期の他の作品に比べて聴き易くなっているけれど、プレイそのものに変わりがないのだ。しかも、ここで演奏されている10曲(最後の3曲はCD化に際して1954年のライブ演奏が追加された。この3曲だけ拍手が入っている)のうち6曲がビリー・ホリディの持ち歌だという。「She’s Funny That Way」「Time On My Hands」「Foolin’ Myself」「My Old Flame」「If I Has You」がそうだという。とくに「Foolin’ Myself」は好んで取り上げていたようで、2度のライブの演奏が収められている。

コニッツの演奏は外形的には、チャリー・パーカーのような跳躍は避けて、堅実なリズムに乗って、水平にうねうね進むようなフレーズを重ねていくという基本を貫くものだ。

Subconciou-Lee

  Lee Konitz (as)

Arnold Fishkin (b)

Denzil Best (ds)

Jeff Morton (ds)

Shelly Manne (ds)

Billy Bauer (g)

Lennie Tristano (p)

Sal Mosca (p)

Warne Marsh (ts)

 

リー・コニッツの、あえて情調を排したような音色や陰影の変化をつけない単調を旨とするような吹き方で、メロディとし言い切ってしまうまとまった形を拒否するかのように、うねうねとフレーズを伸ばしていく。その純粋に響きと即興を追求する行き方。これは、チャーリー・パーカーやバド・パウエルといったビ・バップを進めて行った人達のハイ・スピードのアドリブにも言えることだけれど、彼らの場合には、湧きあがるような躍動感と明快さがあったのに対して、コニッツの場合には理屈に根差したような、うねうねが先を考え考え模索しながら、うねっているような感じがする。カッコよく言えば内省的とでも言おうか。その分、コニッツの方が響きを純粋に追求していくことになったわけで、そこでうまれた透徹した音色が鋭角的で、ひんやりしたという印象を与えて、クールと称されたのではないかと思う。そういう傾向が純粋で突出していたのが、このアルバムと思っている。とくに、前半のレニー・トリスターノのピアノが参加しているナンバーにその傾向が強い。

だからといって、発表当時とは違って、現在の耳で聴くと、それほど衝撃的とは思えないのではないか。いまのリズムが全面的に支配してメロディが表われないような楽曲に比べれば、明らかにメロディはあるし、音を歪ませたりすることもないので、却って耳に心地よく響いているところもあると思う。その意味では、時代の制約が失われてきて、初めてこの作品の真価が表われてきたかもしれない。

実際に、このアルバムを聴いてみると、収録されているナンバーのほとんどが急速調あるいはミディアム調で占められている。じっくりとメロディを歌い上げるスローなバラードは、ここでのコニッツの姿勢からすれば、避けられたということなのだろう。 

Lee Konitz With Wame Marsh   1955年6月14日録音

Topsy

There Will Never Be Another You

I Can't Get Started

Donna Lee

Two Not One

Don't Squawk

Ronnie's Line

Background Music

 

Billy Bauer(Guitar)

Kenny Clarke(Drums)

Lee Konitz(Sax (Alto))

Lee Konitz(Sax (Soprano))

Oscar Pettiford(Bass)

Ronnie Ball(Piano)

Sal Mosca(Piano)

Warne Marsh (Sax (Tenor)),

 

リー・コニッツのディスコグラフィーを見渡してみると、リーダー・アルバムの殆どがワン・ホーンの編成で、他のセッションへの参加にしても、レニー・トリスターノやマイルス・デイビスのグループへの参加がある程度なのに気づく。では、コニッツという人が他人と合わせるのを好まない人なのかというと、どうやらそうではないのではないか、ということがこのアルバムを聴くと分かる。コニッツがトランペットや他のサックス奏者とセッションを組まないのは、というよりは組めないのではないか。コニッツのプレイがユニークなので、他のホーン奏者は一緒にやりにくい、というのが正直なところではないのだろうか。マイルス・デイビスのような人はむしろ例外的な人なのではないか。ここで共演している、ウォーン・マーシュは、コニッツがトリスターノの下で一緒に学んだ同僚のような人だという。このアルバムでの演奏を聴くと、コニッツというプレイヤーは聴く人なのだということがよく分る。コニッツとマーシュという2人のサックスの絡みが何とも見事で、時には精緻なユニゾン、時には交叉する2本のメロディーラインを自在に織り込んでいく様は、分野は違うけれどクラシックのモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K354第2楽章のヴァイオリンとヴィオラの絡みを想わせる。2人のプレイの親密さは、まるでスコアがあるかのようなのだ。これは、コニッツという人が相手のプレイを能く聴く人であるということの証拠だ。だから、コニッツは本来的にアンサンブルへの志向性が強かったのではないか。そういうコニッツがずっとワン・ホーンの録音をしていたというのは、本人にとってもかなり緊張感を要するものだったのではないか。彼のアルバムにあるテンションの高さの要因の一つに、そういうものがあったのでは、という想像を禁じ得ない。同時期の人で、同じように即興的なプレイをした人で、アート・ペッパーがいる。ペッパーもどちらかというとワン・ホーンの編成が多かった人だ。コニッツとペッパーを比べてみると、ペッパーのプレイは天才的とでもいうのか、後から後からフレーズが無尽蔵に湧き上がってくるという感じで、出てくるフレーズがビシバシとキマッている。これに対して、コニッツのフレーズはうねうねと手さぐりであっちかこっちが迷いながら匍匐前進している感じだ。コニッツはペッパーに比べて、自分の音を聴いて確認しながら次の音を探っている感じなのだ。そこでの聴くという要素はペッパーよりずっと強い。そういうコニッツにとって、ペッパーに比べれば、フレーズを独りでつむぐというのは作業量の大きいものだったのではないか。そこでの、コニッツにとって他人のプレイを聴くということは本質的な資質だったのではと思うのだ。それは、アンサンブルのこのアルバムでのコニッツのリラックスしたプレイが図らずも証拠と見ていいのではないかと思う。

最初の「Topsy」での2人の織りなす推進力、「I Can't Get Started」での2人一緒のソロは互いにうねうねして屈折し合って同じように聞こえ区別がつかない。「Donna Lee」や「Two Not One」での2人の即興的なプレイは、いつもの分解的なうねうねなのだが、2本の線が絡むと、そこにメロディックな聴こえ方がしてくる。リラックスしたプレイの中で、それらを聴くと、仄かな情緒的な響きが聞こえてくるような気もする。



 
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